DD論(好き・恋・愛・慈愛)

注意 今日の日記にでてくる彼女は圭ちゃんではなく
   リアル元彼女の事です


この稲葉さんにちょっと似ているかも。


人を好きになると思いがけない行動にでてしまうことがある。
人生観に影響されてしまうこともある。


好きであるが故に、総てを受け入れてしまう。あばたもエクボ。


もともと人間関係へただし、恋愛なんて。というわたし。
それまで付合ったことがなっか私にリアル彼女ができたのは二十歳台のころ。


始めて出会った時、彼女は同棲していた。
分かってはいたけれども、好きになったら止まらない。
リミッターは壊れ、暴走し始める。


彼女は、私の気持ちを受け入れてくれた。
それは当然、今の彼と別れることだと理解していた
がそうではなかった。

二人と同時に付合うという。そう宣言されてしまう。
現在の日本の法律では、二股かけようが、決して違反にはならない。
だから、まわりからは非難されない。


ただ、彼女を好きな男二人が、苦悩するだけだ。


彼女の下宿の隣の部屋には、いまの彼が住んでいる。
そんな彼女の部屋に泊まりにいく私。
野球場でのデートのあと、今彼があらわれてデート相手交代。
こんな事がつづく。


ある日、彼女が下宿を変わる。
「いま彼との間が気まずくなって、独り占めできた」
と思ったのは、早とちり。
その下宿に今彼が来ていたのが分かる。
(スケジュール手帳を見てしまった)


どうして、二人(いや実は二人以上だった)の人と同時に付き合えるのか理解はできなかった。
僕はその彼女が好きだった。だから、ただ、本当に理解したかった。受け入れたかった。


たとえ、その事実が自分にとって苦痛であっても、受け入れたかった。
彼女が好きであるがゆえに。本当に「好き」になってしまったが故に。


「あなたも体験してみなさいよ」そう奨められる。
ドイツの映画で麻薬中毒の少年に恋した少女が、
彼を理解したいがために麻薬に手をだしていくのがあったのを思いだす。


ちょっとした機会があって、
電話をかけるような仲になる女性が表れた。
何回か会って、電話をして


めんどうな事をかかえている今彼女よりは、ずっと楽に接せられる。
次第に今彼女よりも、接触する回数が増えていく。


・・・・でもでもでも
これって今彼女を理解したいがための、エゴではないか。
どう天秤にかけたって、好きなのは今彼女ではないのか。


苦悩の末、新彼女とは自然消滅した。
そして彼女の所に戻ろうとした時、拒絶された。


新彼女とは会っていても、今彼女とはあまり会わなかったことが
怒りの原因だったらしい(ちゃんとは、いってくれなかった)


ここで、自分の中の物がぷちっと切れた。
そんな怒りは、元彼だって、オレだってもっていた。
だけど、好きだから相手にぶつけやしない。
なのになのに・・・


「相手に付合っている人がいても受入、付合う」
そんなの理想を言いだしたのは「あなた」じゃないか。
(これって究極のDDですか 笑)


彼女に拒絶されたことは、私にとっては大きなことだった。
彼女を理解したいがためにやったのに、なぜ拒絶されるんだって。


互いに修復をはかったりしていたが
正面を向いて互いの気持ちを話すこともできなくなっていた。
関係は消滅し、その後、


彼女は出家した。本当に尼さんになってしまった。
瀬戸内寂聴さんかよっ)


いま考えれば、あの時の「好き」という感情は
「相手が好き」ではなく


自分を理解してくれそうな人に始めて出会った嬉しさと、
オレはこれだけ理解してやった。その分、オレを理解しててくれ
 という、私のわがままにすぎないと思う。愛を求める気持ちだ。


 これが私にとっての原点。