ハロプロと愛国心
だろう・・という方が書いた本の書評があった。それも本人から。
愛国心は国や国民を支えるパワーであると同時に、国家から強要・操作されやすく
暴走しやすい諸刃の剣
です。
ここの愛国心をハロプロの各メンバーのファンが愛する気持ちに十分置き換えられると思う。
私は天皇制大好きだっ。ヲイヲイ
でも戦車宣車で「天皇」を連呼し、天皇への「愛」の表現をする方々には
にがにがしく思っている。
それって、天皇のファンを減らす役割はするけど、増えないんじゃないの?って。
自分が「愛」と呼んでいるものが「自分のためだけの、自己愛」で、
愛されている側には、迷惑な行為にすぎないのではないか?
確認せずにはいられない。
自分の行っている事が、ためになってるのか。
米長が、天皇陛下に喜ばれると思ってすすめてきた、国旗国歌の強制? 天皇からはねぎらいの言葉もなかった。
「金払ったんだから、自分が楽しめばいーじゃん。酒のんだってゲロはいたって。サイリューム捨てていって。ハロメンが地球にやさしくなんていっているけど、ゴミはそのへんに捨てます。はい。周りなんかしらん。おれは自分のためだけに、メンバーがふり向けば何でもすく。場違いな時に声をだしてやる。」
ここには、ハロメンへの愛のかけられもない。自己愛だけだ。
あなたの行為によって、新しくファンになるような人が、ハローから逃げ出しているんじゃないか。
私が、そう他人にいいきること=すべて自分の行動へ帰ってくる。
私にとっても重い課題だっ。
他人に言うことで、他人から「でもあなたのその行動も本当の愛なの?」と逆に突きつけられるからだ。
本当の愛なら、
「ハロメンのため」、
「他のファンへの」ため。という視点があるはずだ。
それは愛国心が、「国のため」と同時に
「他の異質な考えをもつ国民のため」
「他の国の人のたため」
「人間以外の他の生物のため」
「地球環境全体のため」と
視点は深く広くなるように。
自分の国だけを愛していても、他の国から尊敬も得られまい。
鈴木さんはこの書評で最後にいっている
「自分の愛国心は本物かと自省した本になりました。愛国心は難しいです」
愛国心を自分のファンへの愛する気持ちに置き換えて、わたし自身も考え直してみたいと思う。