℃-uteだったけど、℃-uteじゃなかった。
私にとって℃-ute=「めぐ」だったと今回の応援企画で、改めて感じさせられた。
決して、寸劇が学芸会なみだとか、ポラの時にヲタを3人さらしものにするのがイヤだとか、
小学生コントが......(笑)とかいうわけではない。
曲も好きだし、マイマイも良い味だしているし、ナッキーの確変は続いているし。でもでも、
℃-ute=「めぐ」だった。「めぐ」の幻影を追っていた。
脳内補完して「めぐ」を背後にあるスクリーンに創造していた。
くっきりと大きな「めぐ」の笑顔が、見えた。
確かに見えた。
そこに見えなければ、やっていられないそういう気持ちだった。
よく考えれば、いつも「めぐ」だけを追っていた。見ていた。
後藤さんのコンサートなどの前にゲスト出演したときから
ずっと「めぐ」だけ追っていた。
だから、コンサート部分で℃-uteの他メンをじっくりみたのは今回が初めてだった。
泣けてきた。居ないのだから。
その場所は「めぐ」が歌うところだったじゃないか。
「めぐ」の声が聞こえない。
そのダンスの振りは「めぐ」じゃなきゃだめだろうとか。
私にとっては、9月10日よみうりランド以来の℃-uteであったので、
「めぐ」が「いなくなったのだ」ということが
公式発表とかではなく、初めて実感できた。
大泣きするわけにもいかない。
他のファンは自分の中で折り合いをつけて、今回参加しているのかもしれない。
今回、全く折り合いがついていない自分を自覚しただけだった。
応援企画後の飲み会でも、そういう点でとり残される感覚があった。
圭ちゃん卒業直後の娘。本体の富士急ハイランドでの野外コンサートを思い出した。
圭ちゃんのいないステージを。